そのいち


 ちゅ、と音をたてて額に落とされたキスが合図だった。

「ゃ、」

 昂ぶりかけた熱に指を絡められて小さく声が漏れた。
 閉じていた目をうっすらと開けると、壮絶な色気をたたえたいつもより濃い灰色と目が合った。
 形のよい薄い唇が開いて言葉を紡ぐ。

「…嫌か」

 低く囁かれた問いはとても真摯でどきりとした。
 そういえば、行為中ネズミを拒むようなことも、拒むような台詞も紫苑はこれまで口にした
ことがなかった。ところが、押し殺そうとして殺しきれなかった声がたまたま否定の一文字を
紡いでしまったらしい。
 些細な拒絶にすら反応を返すネズミの意外な一面を垣間見て、紫苑は無意識にネズミの頬に手を
伸ばしていた。

「…ううん。嫌じゃ、ない」
「…なら、いいけど」

 その答えを聞いたネズミは色気の中に野性的な光を滲ませて笑った。ネズミというよりは雄の
黒豹か何かに近いものを感じさせる笑みだった。

「は、…ッ!」

 ネズミの頬へと伸ばした手を下ろし、汗で額にはり付く前髪をかきあげる。少し力を抜いたその
隙を突かれて、ゆっくりと充分に解されたところを熱い塊に貫かれて頭の芯がじん、と痺れた。
 鈍い痛みに思わずシーツを握り締めて震える左手を捕らえられ、固く握られる。
 細くしなやかな指からは想像もできない強さで繋がれた手、確かに触れた存在を紫苑も強く握り
返した。







そのに


 凄まじいほどの寝相の悪さで、毎晩のように紫苑を悩ませている同じベッドの上の男が今日に
限って静かだった。

 狭いベッドの上でただでさえ長い足を投げ出し、無意識のうちに紫苑を蹴飛ばすのが得意技な
彼が、今日はおとなしくそのままの体勢で眠っている。
 珍しいこともあるものだ。

「ネズミ? 起きてるのか?」

 具合でも悪いんじゃないかと、紫苑は心配になってネズミの額に手を当て確かめたりしてみたが
別段普段と変わりない。
 いつもの皮肉めいた笑みや時折見せる鋭い視線も惹かれる魅力のひとつではあったが、こうして
静かに目を閉じている姿も目を奪われるものがある。

 そういえば、ネズミは身体をあまり他人に触れさせたがらない。当の本人は必要以上に紫苑の
身体に触れてくるというのに。常に警戒をその身に纏う彼としては当然の反応かもしれないが、
なんとなく不公平な気がして紫苑は傍らに眠る男の整った寝顔へ手を伸ばした。
 頬を軽くつねってみる。思ったより滑らかで弾力のある肌が手に心地よかった。
 手を頬からそのまま上に移動させて髪に潜りこませる。見た目よりずっと艶やかで、少しかため
だけれど手触りのいい髪を指に絡めて遊んでみる。
 わしわしとひとしきりいじって、紫苑が満足する頃になって手を掴んで止められた。

「おい、いい加減にしてくれ」
「あっ、なんだ。やっぱり起きてたのか」
「そりゃ、顔だの髪だのをこれだけ無遠慮にいじられればな…」

 すっかりくしゃくしゃになってしまった髪を手櫛でざっと整えながら、ネズミは呆れた視線を
紫苑に送る。

 あ。珍しく身体に触れても振り払われなかった。

「ごめん。思ってたよりずっと触り心地がよかったから、つい」
「顔も髪も一応大事な商売道具ですから。あまり手荒に扱わないように」
「わかってるよ」
「じゃあもうおとなしく寝とけ」

 ネズミが自分を拒もうとしなかったことにほんの少しだけ安堵を覚えて、ぶっきらぼうにそう
言った背中に紫苑はそっと返事を投げた。

「…うん。おやすみ」




拍手その3はあまりに短すぎてアレなので載せてないですー。



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